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的山倧島のこず⑀

的山倧島は玠晎らしいずころだった。島のいたるずころに棚田が広がっおいお、真っ青な空の䞋、颚に吹かれお緑の皲がキラキラず揺れおいる。棚田越しに海も芋える。攟し飌いのダギや牛もいる。このような自然の䞭にいるず、䞍安も安心も過去も未来もなく、ただ今を感じるだけだ。䜕の考えも頭に浮いおこず自転車を挕いでいたら20分皋で前に到着した。

すでに男性はバッテリヌを手に倖で埅っおいた。

じゃヌこれねずバッテリヌを私達の自転車のかごに入れるず、「では町の説明をしたしょう」ず頌んだわけではないのだが、突然に町の説明をし始めた。

ここは、非垞に興味深いずころなんですよ。江戞時代から今に至るたでの建物の移り倉わりがこの町䞀぀で党郚芋られるんです。このパンフレットも私が䜜ったんですよず神浊地区のこずが曞かれた資料を枡しおきた。

男性はこの島に来た時に、叀い建物が沢山残っおいるこずに驚いお、そのたた䜏み぀いお建物の保存に努めおきたこず、最初はなかなか理解されず、町の人に賛同を埗られなかったこずなど、ここを囜遞定の「重芁䌝統的建造物矀保存地区」になるたでの苊劎を語っおくれた。それから、䞀軒のお店の前にくるず「ここはお茶をするずころだから」ず扉を開けようずしたが開かなかった。そしおもう少ししたら開くよず蚀った。

それから今床は建物や町䞊みのどういうずころが特城的なのかを䞀぀䞀぀䞁寧に説明しおくれた。

面癜かったのは、平戞が長厎に貿易拠点を奪われおしたった時、代わりの産業ずしおここで鯚持が始たり、その鯚を神浊で解䜓するずきに、ショヌずしお殿様が楜しむための芋物台があったこずなどを教わったこずだ。圓時はこの島にもお茶屋たであるくらいの賑わいがあったそうだ。

町を䞀呚しお説明が終了ずなった。

するず「電気が付いおいればやっおいるよ。もう電気が付いおるんじゃなかな」ず、たたあのお店を勧めおきた。ずおも日差しの匷い日だったから少し䌑んだ方がいいず心配しおくれたのかもしれないが、少し䞍思議な感じがした。

解散ずいうずきに、ずころでなぜこの島に来たのかずいう話になったので、母が亡くなったので生家を探しにきたこずを話した。母の旧姓が倧浊ずいう名前だず話したら、ここは倧浊さんがいっぱいいるからどこの倧浊さんか調べるのは難しいねず蚀われた。しかし、倧浊姓の由来を教えおくれた。

倧浊ずいう名前は元々玀州の船倧工の出身だずいう。

平戞で貿易が盛んになったので、貿易船を造る職人が玀州から来たが、貿易拠点が長厎に移ったこずで今床は鯚持が盛んになった的山倧島に船倧工の倧浊姓の人が移っおきお、そこから、船倧工ず䞀般の倧工に分かれおいったのだずいう。

だからこの島は倧浊がいっぱいいるんだよずのこずだった。

母も知らないであろう名前の由来たで知るこずができたこずを嬉しく思いお瀌を蚀っお別れた。

぀づく

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