簡単だと思っていた母の故郷への旅は紆余曲折あった。
そもそも、島の名前をきちんと把握していなかった。
平戸からフェリーに乗って大島という名前の島に行ったというのが自分の記憶であったが、インターネットで調べてみると、大島というのは略称だったようで、正式名称は的山大島(あづちおおしま)という名前であった。
的山大島は観光するような島ではなく、島の関係者以外でフェリーに乗るのは、だいたい釣り客のようだ。
かろうじて1軒の観光ホテル以外は、民宿が数件しかない。
姉が、海が荒れるとフェリーがすぐ欠航になる(以前、姉も訪れようと思ったことがあるらしく、そのときは船が欠航になってしまったらしい)と言っていたので、宿は平戸にとることにした。
平戸は長崎にオランダ商館が移るまで貿易港として最初に栄えたところで、カトリック教会なども多くあり、西洋との交易が盛んだったことがうかがえる。
代々からの平戸出身者は、そのことを誇りに思っているらしく、「今は長崎に取られちゃったけど、もともとカステラだって平戸のものなんだよ」というような声も聞かれた。
そんな歴史の深い平戸市街地を散策した次の日、平戸から的山大島にむけてフェリーで出発することにした。
フェリーの切符売り場は港沿いに建っている新しい建物だ。中は畳敷きの休憩場所もあってクーラーも効いている。待ちきれず早めに来てしまったので、切符を買ってしばらくそこで8時台の第一便の到着をまった。
便は多くなく、2時間に往復1本程度である。
到着したフェリーはそれほど大きくなかったが、車も運べるカーフェリーとなっていた。
旅行客なのか、島の住人なのか、よくわからない顔ぶれの人々と共に乗り込んだ。
折角船に乗ったのだ、海風を感じたいのでデッキにいることにした。
出発し、徐々にスピードがあがっていく、船体が波を掻き分ける。潮風が気持ちいい。港が小さくなっていく。小さな島があちこちに見える。すでにいくつもの釣り船が出ている。無人の島で釣り糸を垂らす人達もいる。
穏やかな休日の海だ。
30分程して的山大島より小さな度島という人の住む島が見えてきたと思ったら、そのあと10分程で到着となった。
大島には港が2か所あって、子供の頃、最初の港で降りたのを覚えている。コウノウラという港の名前さえもしっかりと覚えている。だからここで降りればいいのだ。そう思って下船したことが、後々、不思議な縁を感じることになる、この旅の始まりとなった。
つづく