昨年母が亡くなった。
母は、長崎県の平戸から一人東京に出て来て働き始め、数年後に結婚したが3人目の子供を授かったあとすぐに離婚となった。
今よりもっと福祉制度は悪かったろうし、近くに頼れる人もない所で、3人の子供を育てるのは大変な苦労であったと思う。考えてみると、子供の頃の母はいつも張り詰めたような顔をしていたし、具合の悪くなることも、寝ることも出来ないといった風で、横になっているところも見たこともなく、朝から晩まで、外でも内でも働いていた。
子供たちもそれぞれ独り立ちし、やっとゆっくり出来ると思った頃に、脳梗塞で倒れ、一命はとりとめたものの脳に重い障害が残った。
認知症の症状があり、とても子供たちだけで介護することはできず施設のお世話になったが、そこでの母はいつも楽しそうに笑っていた。病気になってやっと笑顔の母を見られるようになるとは皮肉な話であるが、何の親孝行もできていなかった私にはそれだけが救いであった。
ときどき気分が不安定になることもなくはなかったが、基本的には穏やかな晩年だったと思う。
今年の夏に、平戸からフェリーにのって40分程のところにある的山大島という島を訪れることになったのは、その母が亡くなったからだ。
母がまだ元気があるころ、施設の方が、母に聞きとり作ってくれた絵や写真で夢を表したボードに、故郷長崎を訪れると書いてあった。元気はあったが外に出られるような体ではなく、その夢を叶えてあげることは出来ずに亡くなってしまったので、供養の代わりに遺影を持って母の故郷を訪れることに決めたのだ。
母は長崎県平戸市の的山大島という島の出身である。
子供の頃に1度しか行った事がなく、もうその島には親戚も残っていないのだが、住所もわからない母の実家跡には簡単に行けると思っていた。
まずは連れに手伝ってもらい、旅の日程を決めることにした。
つづく